びたーえんど

眠らなければずっと日曜日

【恋は光】北代の求めた幸せとは

(※ 以下の記事には『恋は光』のネタバレを含みます、予めご了承ください)
 
 秋★枝先生は同人誌というものにハマる原因となった東方ジャンルで、かなりエモい話を書く人だなと記憶に残っていた作家さんで、TCG(MtG)にハマった頃に『Wizard's Soul 〜恋の聖戦〜』で商業作品として再開を果たし、作品群を追っていく過程で『恋は光』を読むに至った。
 
 この物語は主人公である西条が「恋というものを知りたい」という東雲に一目惚れをした事から始まり、幼馴染の北代やその知り合いである宿木たちが共に「恋」というものの定義や西条に備わる特別な体質「恋をしている人が光って見える」について解き明かしながら、それぞれ「恋」をして「恋」を見つけ出す物語だ。まずは作中に登場するキャラクターたちを今一度しっかりと分析していきたい。
 
 西条は思慮深くすべての事柄には理由や原因があると考えるタイプだ。それは、「恋」のように何が起こるか分からない事や行動原理に見合わない事象が発生すると混乱するという事の裏付けでもある。だが、その混乱する理由は、家庭環境で経験*1をする事が出来なかった事が大きい。だから本能的な愛情を深層心理では求めているのではないかと北代に指摘され、認めたくはないが納得はしていたようだった。また、彼という人間は自分という人間性をしっかりと棚卸し出来ていて、決して大学へ真面目に授業を受けに行く人間ではない事や、口下手だから文章で伝えたほうが齟齬が少なく済む事など、デメリットとなる部分をどう相殺すべきかを理解し行動している。そして、愚直なまでに誠実な彼は宿木と別れた際には喪に服す期間を設けたり、北代の告白に対しては彼女と東雲のどちらを選ぶかではなくそれと切り離して彼女と付き合うべきなのかを考えた。そんな彼だったからこそ、北代はずっと傍で片思いをし続けたのだろうし、宿木はその本質的魅力に気づいたのだろうし、東雲は「恋」をしたのだろう。
 
 みんな大好き北代さんは、人との関係性を何より重視していてとにかく気が回るし、そうやって上手く立ち回る事を苦とするどころか楽しみながら消化出来ている、そんなキャラクターだ。彼女は、センセと海に行く際に「二人でこんな老後を過ごせたら」と思いにふけていたが、これはどちらかと言えば「恋」というよりは「愛情」に近いが、なぜ彼女がセンセに対してそう思ったのかというと、長年片思いをし続けていた中で彼女の中で「恋」を勝手に消化していた為、ドキドキするような「恋」はもう終わってしまっていたのだ。最終巻で「恋って二人でしたいよね、やっぱ」と自分で言っていたとおり、西条が求めていたのは同じ速度で共に「恋」を出来る相手だったのだろう。
 
 宿木さんは作中で一番人間味にあふれているキャラクターで、「他人の恋人を奪うのが好き」という悪癖がバレた同性に対しては感情を包み隠さずさらけ出し、西条と付き合っているときも自己嫌悪で思わず感情が溢れ出したりと非常に生き生きとしている。前述した悪癖も、経験不足が故にとっていた本能的かつ利己的な行動で、西条と付き合い東雲さんに面と向かって涙目で「妬ましい」と突き詰められ、その後別れた際にはじめて「恋」という感情の重さに気づき*2今までの所業に後悔をして反省をする姿も描写されていて本当にかわいい。またPCDAを回すサイクルが非常に早く、本当に好きになってしまった西条と別れた直後には髪切って感傷に浸る……などではではく彼に好かれるために東雲に寄せると称して黒髪に戻して、彼に合う直前にはファッションも落ち着いたものに変えたり、東雲を別の男とくっつけて諦めさせようと模索したりと彼女なりに努力を重ねていた。作中最も恋する乙女をやっていたのは間違いなく彼女である。
 
 東雲さんは作品のテーマでもある「恋」を知ろうとする純粋無垢で思慮深く物事を探る西条と似たスタンスのキャラクターだった。そう、"だった"のだ。作中後半で宿木の男友達から告白を受け、それを自分の意思で断ってからの彼女はより「フツー」に近づきつつあり、自分の中の本能的な部分がより表面化し始めてくる。その要因は他ならぬ西条に対する「恋心」であり、それは根拠があったり定義があったりするものではない、「ただ、会いたい」や「西条が欲しい」といった理不尽に湧き出る欲求だった。その思いは眩しいくらいに真っすぐで、それは西条が初めて東雲さんと会ったあの日から根本の部分は変わらないけれども確かな変化だった。西条が探し求めて、未だ答えが見つからないそれは彼女にとっても同じで、それを二人で見つけて行きたいと願ったからこそ、彼は北代ではなく東雲さんと「恋」をしたいと思ったのだろう。
 
 自分は最終巻を読むまではずっと北代派*3だったし、北代との二人でやる最後の飲み会のシーンは色々な感情が湧き出た事も確かだ。しかし、西条が東雲と恋を見つけ出したいという答えには納得感があったし色々な人たちと関わっていく中で服装や行動が変わっていく東雲さんは非常に魅力的だった。特に告白のシーンでは作中で西条が反芻したように「頭の奥の方が甘く痺れた」*4という表現が的確であった、これは宿木の告白である「私と付き合ってみませんか?」という打算的な提案や、北代の「好きだよ、ずっと」「ちゃんと、好き」といったような積もり積もった長年の想いを伝える行為でもなく、「ただ、西条さんが欲しいのです」という理屈じゃない本能的な欲求を自分にぶつけられたからこそより強く惹かれたのだろう。
 
 作中で北代はセンセと結ばれる関係にはなれなかった、しかしそれ自体が不幸なことだとは思えないのだ。ただ、北代と西条があの居酒屋で二人で飲む事はもう無いのだなと思うと泣きたくなるくらいに寂しいと思う。男女の関係とも同性の関係とも、はたまた友情とも違う、二人の間だけで「何か」があの空間では形成されていたと自分は思う。そして、北代が求めていた本当の幸せとはきっとその「何か」だったのではないか。だが、それは西条が求めた「恋」ではなかった、だから彼にとって「特別」な彼女は「恋」をする対象に選ぶ事が出来なかった。きっと西条と東雲はこれからそれに代わるような幸せな時間を、空間を作っていけるはずだと思う。だがあの奇跡のような時間であった「何か」を彼は、そして北代はもう二度と手に入れる事は出来ない。だからあの時、彼は「寂しい」という想いが頬をつたったのだろう。
 
 今でもこの作品を何度も読み返してしまうのは、キャラクターが魅力的で、独特の会話のテンポが心地よくて、そしてあの北代と西条の居る居酒屋の風景が見たいからなのだろう漫画という媒体は記録されたキャラクターの過去のやりとりを見る事が出来る貴重な表現の方法だ、そしてそれとこの作品は非常にマッチしていて、まるで自分が学生の頃に楽しかった記憶を追体験出来るような、そんなエモい感覚*5を味わえる。
 
 秋★枝先生の新連載が楽しみだし、こうして待てる時間があるのだから、現世もまだまだ捨てたもんじゃないなと思えるなと思った今日この頃。
 

 

恋は光 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
 
恋は光 2 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
 
恋は光 7 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
 

 

 

*1:彼のキャラクターで言うならば「学習」

*2:ここではじめて自覚するというのも宿木さんらしい…

*3:ちなみに何周もした今は宿木派

*4:この表現は作中で最も秀逸だと思う

*5:同じくらいに好きな作品に『げんしけん』がある、あれは自分の感性に多大な影響を与えた